島根県知事が、5月に県内で予定されている聖火リレーの中止を検討していることが報道された。Y!ニュース時事通信より。
丸山島根県知事、聖火リレー中止を検討 コロナ対応批判、1カ月程度で判断
 島根県の丸山達也知事は17日、県内で5月に予定されている東京五輪・パラリンピックの聖火リレーの中止を検討していると表明した。丸山氏は、政府や東京都の新型コロナウイルス対応を批判。聖火リレーが3月25日に福島県から始まることを念頭に「状況の推移を1カ月程度見て、改めて(実施の可否を)判断したい」と述べた。
 丸山氏は県庁で開かれた聖火リレーの実行委員会で方針を表明。会合後記者団に、東京五輪について「現在の状況では開催すべきではない」と強調し、都が感染経路を追跡する「積極的疫学調査」の縮小を決めたことなどを理由に挙げた。
 

 県民の命と健康を守るための島根県知事の判断は当然のことである。コロナ禍においても政権および己の政治基盤のためにオリンピックを強行する菅政権や小池都政に、地方から反旗を翻してオリンピックそのものを葬り去ろうではないか!
 そもそも聖火リレーは、ナチスドイツが1936年のベルリンオリンピックで始めたものだ。もちろん、ナチスプロパガンダのためである。SportsNaviのオリンピック聖火リレーの歴史には、しっかりそのことが書かれている。
 聖火リレーの発案者は、ベルリン大会組織委員会事務総長でスポーツ学者のカール・ディーム。古代ギリシャの「たいまつ競走」を再現するという歴史的意味、国を超えて協力することのすばらしさ、オリンピックの芸術的意義をアピールする、などさまざまな意義をかかげた。だが、そこにはナチスドイツが自国のプロパガンダのために、「自分たちがギリシャ人と同様、優れた民族であるアーリア人の末裔である」ことを強く印象付ける狙いがあった。ただ、この思想は、ナチスのユダヤ人差別〜虐殺に結びつく危険なものであった。

 およそ「平和の祭典」とされるオリンピックのタテマエとしての理念をも踏みにじる始まり方である。オリンピック大会そのものは、1940年東京、1944年ロンドン大会が戦争のため中止され、戦後の1948年ロンドン大会で再開されるわけだが、聖火リレーを継続するかどうかIOCでも議論がなされ、「平和のため」のイベントとして行われることになった。リンク先にもあるように、その時の第一走者はギリシャの軍人で、銃を置き、軍服を脱いでスポーツウエア姿になってから聖火を受け取って走り出すというパフォーマンスが行われたそうだ。
 だが、リンク先にもあるように、ギリシャは内戦でルートを一部変更するということが行われている。戦争の陰を完全に払しょくすることはできなかったのだ。その後行われる大会から、聖火はあちこちに運ばれるようになる。前回、1964年の東京大会では、米軍占領下の沖縄から日本に入り、全国を回る…その前に日本がかつて侵略したアジア各国を回っているのだが、最大の被害を与えた中国や韓国・朝鮮には足を踏み入れていない…政治的にも踏み入れることができなかったのである。
 その後も大会ごとに聖火リレーは世界のあちこちをめぐることをしていたのであるが、2008年の北京大会において、中国政府が行っていたチベットに対する弾圧政策に反対する人びとからの「抗議行動」が各地で叩きつけられ(現代ビズネスの2016年のこの記事に詳しい)、この時の混乱からIOCは国際聖火リレーを禁止したとある。

 こんなに政治的な聖火リレー…もちろん今大会も例外ではない。福島のJヴィレッジを起点として始まる聖火リレーは、なんども書くけど「原発事故は終わった」「放射能の被害はアリマセン」「避難している人もいないよ、復興バンザイ!」というプロパガンダを撒き散らす、もちろん今苦しんでいる被災者・避難者は切り捨てられる。それどころか、各原発立地地点をもれなく通るコース設定であり、ニッポンの原発政策の「復活」を高らかに歌い上げるものとなっているのだ。そもそも聖火の到着自体、自衛隊の松島基地であった…なんで軍隊を使わないと聖火を運ぶことができないのか?(日通でエエやん)

 森元オリンピック組織委員会会長の差別発言以降、多くの大会ボランティアが辞退するということが起きているが、聖火リレーランナーも、ロンドンブーツ1号2号の田村淳を始め、将棋の藤井聡太氏が聖火ランナーを辞退することが報じられた。彼らの辞退は森差別発言が直接の動機ではないのだが、他に一般人で辞退した人もいるようだ。

 聖火ランナーも、自治体もどしどし辞退して、聖火リレーそのものをガタガタにし、「汚リンピック」「汚輪ピック」そのものを粉砕しようではないか‼