昨日26日、京都三条柳馬場あたりの食堂「わたつね」さんで、映画「アイたちの学校」上映会があったので参加してきた。
s-アイたちの学校_0001
 この映画は、以前大阪の第七芸術劇場でも5週間ほど上映していたのだが、見に行く機会がなかったので、ちょうどいい機会だ。ちなみになぜ街中の食堂で上映会が行われたのかというと、食堂のご主人が京丹後Xバンドレーダー基地反対運動にかかわり、京都市役所前座り込み行動を呼び掛けたり、梅田解放区や先日の反オリパラ集会に参加されたりと、食堂の仕事の傍らで行動している方だからだ。これまでも食堂が休みの日に、食堂で基地反対のミニライブを行ったりしていたそうな。
 映画は、朝鮮学校に高校無償化を適用しない、各種補助金を取り下げるなどの差別問題を扱ったものである。朝鮮学校の歴史…日本に労働力として「強制連行」されてきた朝鮮人たち、民族の言葉を奪われた人たちが日本敗戦後、民族を取り戻すために始めた朝鮮学校。しかし日本政府やGHQはその存在を認めず、弾圧ししつぶそうと企んできた。1948年、日本政府とGHQは朝鮮人学校閉鎖令を出したが、多くの朝鮮人がそれに抵抗し、闘った。なかでも大きな闘争は4・24(サイサ)阪神教育闘争である。そういった歴史から朝鮮学校がどういった存在であるのか、さらにはなぜ弾圧されるのか?ということがひもとかれる。
 朝鮮学校では朝鮮のことば、文字、歴史、文化を徹底的に学ぶ(もちろん日本語も、日本史等も学ぶ)。朝鮮幼稚園や初級学校で学ぶと、すぐに朝鮮語で会話ができるようになる(「バイリンガル」になるわけだ)だが、そうするためには学習指導要領に縛られる学校教育法の「1条校」ではなく「各種学校」扱いとならざるを得ない。自動車学校や調理師の学校と同様の扱いを受ける…そのため、実質的に子どもたちが社会にでてゆくための必要な教育が行われているにもかかわらず、補助金が受けられない、部活動等の様々な大会に参加できない、上級学校への入学・受験資格が得られないなど、あらゆる差別をうけてきた。運動の成果等もあり、80~90年代にこうした差別は徐々に解消されてきたが、2000年代の「北朝鮮拉致問題」の膠着や、核・ミサイル開発を口実に高校の無償化から排除され、また自治体からの様々な補助金が支給されなくなるという差別が起こっている。また2009年には京都朝鮮第一初級学校にクソ右翼「在特会」が襲撃し、ヘイトスピーチの限りをつくすという事件が起き、最近では関西医科大学が京都朝鮮学校生徒の受験を認めないという事件があったことが明らかになっている。差別は現在進行形で続いているのだ!映画はそういった事実や、裁判闘争も描いている。あの元文部事務次官・前川喜平さんも、朝鮮学校への差別に反対する立場の人として出て来るぞ!
 もちろん映画には、朝鮮学校で学ぶたくさんの子どもたち、ささえる親や先生方、スポーツや文化の様々な分野で活躍する卒業生たちも描かれている…そのことで、朝鮮学校は他の小中高校と同じ、普通の学校であると同時に、朝鮮・韓国にアイデンティティーを持つ人たちが、それを守り育てるために大切なところであるかということが分かる。
 映画上映後、高賛侑監督(もともとはノンフィクション作家)をお呼びしての交流会始まり、様々な質問や感想が述べられた。高監督はこの映画上映を広めて、朝鮮学校に対する差別問題をより多くの人に知って欲しいと考えておられるようだ。映画館での上映の他、こういった自主上映会や、ネット配信なんかも企画されている。ある配給会社を通して東京のポレポレ東中野で上映する企画が進んでいたのだが、コロナ禍により止まっているのだそうな。
 高監督は、日本にいる外国人に対し、行政の制度はすごく使いにくいが、それは制度に朝鮮人を排除する仕組みが組み込まれているからだと述べられた。かつて日本で「外国人」といえば朝鮮人であり、その権利を認めないという形で様々な制度がつくられている。それが他の外国人に対する制度に適用される。だから朝鮮人に対する差別をなくすことが、あらゆる外国人に対する差別をなくすことにつながるわけだ。また世界には様々な差別があるが、日本のように法律で「子どもの人権」を差別で排除するようなものはないということも言っておられた。日本は1994年に子どもの権利条約を批准しているのに、本当に恥ずかしいことである。
 交流会の中で、2009年の在特会・京都朝鮮学校襲撃事件の時に生徒として校舎内にいたという学生が発言した。襲撃事件の際は高学年であったため、先生方が気をつかってカーテンなどを引いたので、その時は何を言われたのか聞こえなかったのだそうな。代わりに低学年の子どもたちがまともにヘイトスピーチを受けたのだということも分かり、改めて在特会への怒りがわいた。
 17時にスケジュールとしての上映会は終了…35名もの参加者があったそうな。その後、食堂「わたつね」さんのおいしい料理と京丹後のお酒での交流会がもたれたのである。