たたかうあるみさんのブログMKⅡ

み~んなそろって、闘争勝利!でもやっぱりメットは、白でしょ⁉ということにしておこう。

容量がいっぱいになった「たたかうあるみさんのブログ」を移動して、2020年7月に新たに開設した、共産趣味鉄道ヲタブログ⁉…旅行、萌え系ネタ⁉もあります。

2020年11月

老朽原発うごかすな!リレーデモに決起!

 日曜日、「老朽原発うごかすな!」リレーデモに決起してきたぞ!
 この日は、京都市役所前に集合。
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 9時45分を過ぎて、皆さん集まっています。
 前段集会では、木原壯林さんがあいさつ…老朽原発の40年越え運転を認めさせなければ、13年後の2033年に、若狭から稼働している原発が無くなるそうだ。
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 何本もの長い旗竿に、脱原発と書いたいつもの赤旗が翻る…旗や幟が電線にひっかからないよう気をつけましょうとのこと。旗竿はアルミニウムや釣り竿転用のカーボンなので、感電するとひとたまりもない。(関電を批判して感電してはしゃれにもならん)
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 その長い旗竿を持って、デモに出発~河原町通りを南下、三条通りを東に、旧東海道を東に進むのだ。隣で旗竿持っているのは、京都市役所前座り込みで知り合った背の高いお方で「あと13年も闘わないといかんのか…もう83歳になる」と話しかけてきたので「私のおかんは82歳だから、大丈夫ですよ!」と答えておいた。
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 三条通りを始め、京都のまんなかあたりは電線も地中化されており、空がすっきりしている。だがこのへんも大昔は、京阪京津線が地上を走っていたのだ!裸電線(架線)に直流600vが流れているので、もし旗竿が触れたら確実に感電死するようなコースなのである。
 コースは上り坂となる。
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 50分ぐらい歩いて、蹴上のバス停により、休憩タイム。トイレは地下鉄蹴上駅のものを使わせてもらう。その他、コンビニのトイレを借りたりしている。
 日曜日で天気も良いので、沢山の人が参加…おおむね6~70人ぐらいはいるのではないか?このへんはまだ観光客も沿道に多く、デモは注目を集めている。
 11時過ぎに、出発。
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 サミットを過ぎて、下ってゆく…沿道から手を振ってくれる方もいたぞ…日ノ岡というところは、昔は京津線の停留所があったのだが、そこにミネルヴァ書房の本社があるのですな。
 隣の旗持ちの方が、このへんに右翼の大物が住んでいて、仕事で家に入ったが、岸信介や中曽根康弘など、歴代総理の写真が飾られていたと教えてくれた。
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 山科区に入り、JR東海道線をくぐる…「大石道(大石内蔵助由来?)」があったり、天智天皇陵があったり(天智ぐらいでようやく「天皇」の呼び方が定まるハズだ)と、山科も観光してみると面白そうだ。道路は2車線になって、デモ隊はなるべく左に寄るように指示された。車が追い越していくためである。
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 JRをくぐって、2車線ある府道から左に分岐して、旧街道の狭い道をゆくことになる。「老朽原発うごかすな!」デモコールは、「老朽原発動かすな!」「美浜3号機、高浜1号機を廃炉にしろ!」の外、「関西電力は原発マネーの説明をしろ!」的なものも…「電気代返せ!」「電気代で背広をつくるな!」というのもアリ。「ワイロより、ハイロ!」
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 商店なんかに、こうしたナスの風船をぶら下げているところが多い…山科なすというのがあるようだ。
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 旧東海道を示す「道しるべ」的なものがある。前を横切る道路は、JR・京阪山科駅に続く駅前通り。

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 山科駅前を過ぎて、こんなお寺さんと井戸があるよ!

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 で、すご~く中途半端なところで、一旦デモは解散…このへんが「府県境」であるらしい。ここから先、旧街道は国道1号線とかと合流してジャンクション構造となり、デモどころではないからだ。
 参加者はここから京阪四宮駅、もしくは追分駅まで行って、帰るなり午後からのデモに参加することになる。時刻はだいたい、12時20分ぐらい。

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 とりあえず京阪の追分駅まで歩く。周辺には何もない、トイレすらない!…持ってきたコンビニパンをここで食す。
 京津線で浜大津まで行き、京阪石坂線に乗り換えて膳所駅へ…
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 人が集まってきます。14時に再開!また木原壯林さんのあいさつ。他、ここから滋賀の市民団体がリレーデモを支えることになる。今日の膳所駅から関電滋賀支社へのデモコースも、滋賀の団体が月に1回やっているコースだそうな。また、大阪・豊中から大型バイクに乗って駆けつけた方もアピールされた。
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 駅前のロータリーを出発して、すぐに京阪膳所駅の踏切を渡る。架線に旗竿が触れないよう、注意!(さっきも書きましたが、確実に感電死します)

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 膳所駅前の商店街を抜けて、西武百貨店前へ…この西武百貨店、8月31日に閉店してしまい、大津市は百貨店のない県庁所在地となったそうな。そこを右に曲がって、デモ隊は歩道を歩くことになる。
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 関電の滋賀支店が見えてきたぞ!

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 関電前で、シュプレヒコールを叩きつける!「老朽原発動かすな!」「高浜1号機、美浜3号機を廃炉にしろ!」「ワイロよりハイロ!」「電気代返せ!」等々…

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 関電のところで左に曲がり、県立体育館の横を通って…

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 琵琶湖岸でゴール!お疲れ様でした…述べの参加者は、130名だそうな。この後、湖岸で集合写真を撮影。

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 おまけ…この後、プラプラ歩いて浜大津、三井寺駅方面に戻り、疎水のところで撮影…運よく「びわこ号」ラッピング車両に遭遇したのである。
 ではでは…

武家屋敷、ひがし茶屋町、兼六園

 「のと鉄道」や「北陸鉄道」に乗って来たついでの金沢旅行ネタ…
 北陸鉄道の野町駅から、ブラブラ歩いて「長町武家屋敷」なんてところに行ってみました。犀川を渡って、片町の交差点を越え、ちょっと西側に入ってゆきます。
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 こんな街並みが、広がっているのですね(^^)

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 街の真ん中にある、センター的なお店…

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 水路も走ってますよ。

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 中に入れるところもあります。デカい門ですな。

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 少し戻って、路地に入り、香林坊のほうに向かいます。

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 なんかいい感じですね…ここから香林坊に出てバスに乗り、金沢駅方面に向かって予約したホテルまで。
 翌日はゆっくり起きて、金沢駅前で金沢市内1日フリー乗車券を購入!全国の交通系ICカードが使えなくても便利なアイテムです。600円なので3回バスに乗れば元は取れ、JR西日本バスの一般路線バスにも乗れます。
 で、「城下まち金沢観光バス」右回りルートで橋場町下車…浅野川の近くにある「ひがし茶屋町」へ行ってみます。なお、金沢には犀川の南側、野町駅からちょっと行ったところに「にし茶屋町」もありますよ。
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 浅野川にかかる、梅の橋

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 いかにも「ちゃやまち」という感じの、ベンガラ色の街並が広がっています。

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 こうゆう狭い道もいいですね。

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 午前中ということもあって、人通りはそれほど多くありませんが、お店関係には人もそこそこ入っています。ま「Go Toなんちゃら」のおかげでしょう。

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 昨年はインバウンドもあって、人でごったがえしていたんだろうな。

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 バス通りに出て、こんな柳と商家の写真を撮ったりする…
 で、再びバスに乗り、兼六園下で下車…そう、金沢と言えば兼六園ですな。以前、金沢に住んでた頃には兼六園には行っておらず、もっと以前の87年頃に行ったきり。当時、やはり北陸鉄道に乗車しようと、野町に行く前に行って、駆け足で見て回ったため、ほとんど印象にのこっていないのだが…
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 えっちらおっちらバス停から坂道を上って桂坂の入り口にたどり着く。
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 どばぁ~っと紅葉が広がっています。まだ真っ盛りというわけではないのですが、緑も残っているのがまた綺麗!
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 あまりにもベタな風景ですが、霞ケ池と灯篭の図…ちょっと人がはいってしまったのが興ざめですが、人気スポットなのでやむを得ない…

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 素晴らしい庭園でありますっ!

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 紅葉を見ると逆光で撮りたくなるんですよね…
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 庭園内の「山崎山」の下のところ、ここは銀杏の黄色いのが、真っ盛りで凄いぞ!

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 山崎山の上の方から、下を望む…

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 石川県立伝統産業工芸館の前のとこらへんで撮影。DSC05326
 ぐるぐるまわって、時雨亭というお茶屋…お茶とお菓子が楽しめます。

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 日本で現存する最古の噴水といわれるものがあります。

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 瓢池の近くに、三芳庵や夕顔亭といった建物があり、これも趣き深いものです。

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 こんな感じですね。
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 瓢池振り返りでありますっ!

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 真弓坂の出入り口から出て、兼六園とはお別れ…広阪のバス停から、金沢周遊バス他路線バスに乗車でき、香林坊、武蔵が辻などの繁華街や金沢駅方面に戻ることができます。近くには金沢21世紀美術館もありますよ!
 ではでは…

「園良太さんが語る」講演会(後篇)

 なぜ園さんは、反戦・戦争責任・反天皇の「原則的」な運動に取り組んだのか。90年代前半、冷戦・バブル・55年体制・「昭和」が崩壊し、アジアから戦争責任が問われる時空が開けた。日本社会がこれに正面から向き合っていれば、今と全く違う社会になっていたであろう。しかし日本が経済的自信をなくし、阪神大震災やオウム事件で社会不安が高まった中、バックラッシュが起きていく。社会も本格的不況に突入し、新自由主義「構造改革」も推し進められようとしていた。そこに登場したのが「小林よしのり」「戦争論」他であった。社会の「底抜け感」の原因を、個人の権利ばかり主張し、自分勝手な消費社会に行きついた結果であり、侵略戦争を否定せずに戦前の価値観を見直せば良く鳴ると強引に結びつけたのだが、社会が不安定化して社会問題に関心を持つ同世代の青年層がそこに流れ込んだのである。だが彼は小林には論理と歴史の飛躍があると思い、それが明確に二の丸、君が代や天皇制に反対するきっかけとなったそうだ。(もっとも、小林がインチキであることを見抜くには、その前段に、例えば小中学校での教育とかなにかバックボーンがあるハズなので、そのへんも語ってもらえばよかったと思うのだが)とにかく彼は、日本が行った戦争は明らかに間違った侵略戦争であり、アジアの人びとを支配・大虐殺した。その最高責任者である天皇が免責されたから、日本は総無責任社会になった。豊かさをもたらした高度成長は、戦後賠償を逃れた結果であり、戦争責任が問題の1個目の根本であると考えている。


 ひるがえって労組などの中間集団がなくなった今、個人の思いや生きづらさから運動に参加する人も多く、潜在的数も多いだろう。戦前―戦後の国家主義や資本主義の問題であると理解して左に行くか、小林のようにニセの物語に飲み込まれて右へ行くのか、前者を増やすため、私たちの思想と呼びかけ方、行動が問われていると語った。

 それでは今の運動の現在地点と問題点は何か?3・11後も運動は盛り上がったが、街頭直接行動は集まっては散るということをくり返し、人と経験が蓄積されなかった。15年の9・19「安保法制」以降の「野党共闘」路線は、政党優先で統制がかかる。また選挙待機主義に陥り、自発性や原則性が後退した。中間集団の消滅で若者も、中年も少ない。このままだと高齢化であと10年もすれば運動参加者は9割減るだろう、このことをもっと深刻に考えないといけない。


そのためには、大勢の若者がいる街頭で行動すること、梅田解放区のようにオールテーマで誰でも発言できる場を増やすことで、若手から中年の活動家を育てる。そのために司会や重要な役もやってもらう…梅田解放区では「解放区ユース」という若手メンバーにいろいろやってもらっている。また労働者協同組合、労働組合の専従、カンパの拡充、生活保護の拡充、場の提供など、運動しながら生活できる道を増やすこと、90年代以降は右翼がうまくネットやサブカルを活用したから、こちらでもしっかり活用すること、そして国家が無くても社会は回るとか、社会主義を目指すとか言い切ることに躊躇する傾向があるが、社会変革の構想を打ち出すことが大切だと訴えた。

 東京から見た関西・大阪の良さとかについて、原発事故の放射能被害から西へ避難することを考えた時、関西は最大の受け皿であり、地方分権と同時にそうした意義を持つ場所であるとした上で、大阪の良さは地域商店街と人とのつながりが残っていると指摘された。東京の地元では隅々までチェーン店とコンビニしかなくて泣きたくなるし、小学校の同級生の米屋や食堂も潰されてきた。大阪にはまだアーケードと個人商店があり、物を落としたら拾ってくれて話しかけてくれる!そんな大阪の良さとは正反対の都構想。大阪や全国の衰退は、地場産業の育成をやめ、USJ等の外や東京の大資本に投げたから起きた、地域単位で産業、商店街、会話を再構築すれば復活できる。それがポストコロナ、ポスト気候変動の経済政策だ。自分の住んでいる地域と人間関係に目を戻し、そこから出発しましょう!そうすれば性懲りもない大阪市廃止の繰り返しは終わり、未来が拓けますと述べられた。

 

 その後、15分ほど休憩した後、質疑応答である。何問かあった後、私は「なぜ『(3・11後の)新しい運動』(路線)にならなかったのか?」というようなことを聞いてみた。こちらとしては「小林よしのり」的なものを見抜けたバックボーンが何かあるのでは…というつもりであったのだが…まず園さんは「新しい運動」ではなく、「新しく登場してきた」運動であり、自分もそれに関わって来たのだがと前置きした上で、3・11後の運動が「脱原発」のみのシングルイシューで動くのか、それとも被ばく労働者の問題など、構造的な差別他の問題に切り込んでいくのかという「分岐」が起こり、今現在で4~50代ぐらいになっている、その当時に運動をはじめたような人たち…政治運動・社会運動の経験はないが、音楽とかやっていて「マーケティング思考」はあり、社会人経験も豊富…が「どうすれば人が集まるか?」という観点からシングルイシュー路線を押し出し、もともとやってきた「原則的」な人たちを攻撃して、“党派闘争”的なことを始めだした。脱原発は、郷土ナショナリズムに訴えるところもあるので、右も左もない、右翼が“日の丸”を持ち込んでもOKとなったりする。そうゆうことを批判すると、シングルイシューを“守る”ために過剰な選別・排除・攻撃をかけてきた(話は変わるが、LGBTの運動にも、差別の根源である「天皇制反対」を叫ぶことは制限されるなどの制約があるそうだ)それが3・11以降の運動をぶちこわした原因なのだそうな。(その結果として「反原連」があり、「SEALS」がある)変な“党派闘争”によって、若い人が学ぶ機会が削られてしまったが、大阪の「反都構想」運動では、ほとんどすべての人が動いた、これが社会運動再生のいいきっかけになるのではないかということであった。


 集会参加は30人ぐらい、当日は「老朽原発うごかすな!」関電包囲行動もあったのだが「こんなにたくさんの人が集まってくれるとは思ってもみませんでした」と園さんは述べられて、集会は終了した。




「園良太さんが語る」講演会(前篇)

 11月23日(月)高槻市民会館で行われた「園良太さんが語る!」講演会に参加してきた。本集会は「高槻『日の丸』「君が代」の強制に反対する会」主催なのだが、司会挨拶等から、主催団体は日の丸、君が代の強制に反対したために再任用されなかった教師の闘いに取り組んできた「山田さんを支える会」が改組して発足したもので、本日はその第一回目の「学習会」という位置づけであるそうな。ということで、会場はなんかでかい机がどんと真ん中にあって、お茶菓子が出てきそうな雰囲気であった!(お茶菓子等は出ていません)なお、参加費は無料だが、みんなのカンパで運営。
 あいさつに続いて、「君が代」不起立処分と闘うZAZAメンバーからの発言ということで、当該の松田さんらが発言した…学校現場ではほとんど組合が組織されておらず、松田さんの職場も正規・非正規合わせて70名ぐらいのところで、組合に結集している人は4人しかいないそうだ。闘いによって若い人も「声をあげていいのだ」ということにはなるが、「自分がやろう」ということにはなかなかならないと述べられた。
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 そして園さんの講演である、①自己紹介②なぜ右傾化や「リベラル」が主流の時代に、反戦・戦争責任・反天皇に取り組んだか、どう考えているか③3.11以降~運動の現在地点と、運動の継承に何が必要か④東京から見た大阪・関西の良さと、都構想はいらないということ この4つのテーマでレジュメをまとめており、それに沿って話をされた。
 園さんは81年生まれ、友人や先輩とサッカーをして育ったが、中二の時先輩たちに暴力を受け始め、そのせいで5年間、他者との会話ができなくなった。ただ「ひきこもり」をしていたわけではなく、渋谷等の街に出ることは可能だった。工業高校から定時制高校に転入し、図書室の秘書さんから文章執筆を進められ、文章表現から自己解放が始まった。大学の夜間部では社会学を学んだとのこと。2002年、アフガン反戦の渋谷「ピースウォーク」に参加し、そこから一気に社会運動への道を進む。03年のイラク反戦運動では、東京でも5万人が結集し「日本の街頭でもこれだけ出来る」ということを学んだ。その後、フリーター全般労組に加入、年越し派遣村でも学ぶ。08年に「麻生邸リアリティーツアー」で不当逮捕、09年に「ヘイトスピーチに反対する会」を立ち上げ、反天皇制、5・15デモ、在特会への抗議を行って来た。11年の3・11、東日本大震災と福島原発事故が起こる…「今は国や東電を批判せず祈ろう」という挙国一致ムードに反対し、3月18日から「東電前アクション」を開始する。コロナでもそうだが、危機の時に支配層のやることは変わっていないし、それに同調・追従してしまう日本人のメンタリティーも変わっていないとのこと。脱原発、東電追及の運動が広がる中、3回不当逮捕もされている。14年に辺野古新基地建設工事が開始された直後は「辺野古リレー」を立ち上げ、現地に行き、東京でデモも行っている。(「麻生邸リアリティーツアーに関しては、過去ブログのこんな記事がある。また3・11後の園さんの別の逮捕の件は、この記事で絶賛している。)
 ところが15年の夏に不整脈が起きて倒れる。このへんは「ゴーウエスト」なんかの集会でも話されており「非常に大きな話なので別途話ができる機会を求めている」とのことだが、東京の仲間にも考えられない病気や死亡者が多発したため、悩んだ末に知人が多く仕事も見つかった大阪に16年の末に避難し、心臓病は回復した。17年3月に「ゴーウエスト」開始、5月に「共謀罪」反対運動から、「長時間・オールテーマで・誰でも話し・抗議する場・反天皇制や戦争責任など原則的な事を言う場」梅田解放区を開始…当初はヨドバシ前で行っていたのだが、高架の上を歩かせる「車中心」の場になっていることから、ヘップファイブ前に変更した。あそこは人をショッピングモール内で歩かせるように仕向けた街づくり(阪急のコンセプト?)が行われており、歩行者天国に近い非常にいい場所。また渋谷のような街頭ビジョンがないのも理想的なのだそうな。20年3月から「コロナ生活補償を求める大阪行動」開始。5月にたまたま十三市民病院の労働者と松井市長の会見中に「直撃」し、「(雨がっぱは)無いよりマシです!」発言を引き出したのは記憶に新しいところである。(つづくよ)

北陸鉄道乗車闘争

 先日のと鉄道に乗った翌日は、金沢まで行って北陸鉄道に乗車闘争を敢行!
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 まずは七尾線から北陸本線に入り、金沢の次の西金沢で下車…北陸新幹線(松任に車両基地がある)の高架橋下に、北陸本線の駅があって…
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 少し離れた乗り換え駅が、北陸鉄道石川線の新西金沢駅であります。駅舎の建物は、新幹線開業以前のままです。
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 無人駅です。

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 野町方面から、もと東急7000系のステンレス電車、鶴来行きがやってきました。なお時刻表みていただけばわかるのですが、石川線は1時間に1~2本で、しかもパターン化されていないため、利用しにくいのです。
 電車はここで進行方向左側に大きくカーブし、鶴来を目指します…かつて石川線は加賀一の宮から先を「金名線」と呼んで白山下まで伸びていたのですが、1984年に休止、87年に廃止され、鶴来~加賀一の宮間も2009年に廃止されています。いちおう私は過去に加賀一の宮までは乗車してはいますが…
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 しばらくは地方私鉄特有の、せまい敷地をウネウネ走る様子が楽しめます。
 平日のお昼は、こんな感じ…
 陽羽里駅(ひばりえき)という、2015年に設置された新しい駅を過ぎると、住宅地から田園売¥風景に変わっていきます。
 で、30分も立たないうちに、鶴来駅に到着…
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 降りていろいろ撮影しているうちに、来た電車はすぐに降り返していきました。

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 駅の様子は、こんな感じ…

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 白山観光、白山手取川ジオパークの入り口という扱いなのですが、まわりにはなぁ~んもありません。
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 お昼なのに、メシ食う所もないんですよね、このへん…

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 駅舎の中には、なつかしのグッズが飾られています。なお鶴来から1980年まで、能美線という路線が伸びていました。

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 改札口の様子…北陸鉄道は、なぜか改札の出入りが厳しく、発車間際まで中に入ることができません。またICカードですが、自社の「ICa(アイカ)」は使えるものの、他の交通系ICカードは使えないということになっています。
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 そんなこんなで、折り返し野町行きがやってきました。なお隣のステンレス車は、元京王3000系であります。
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 でもって、野町駅に到着~

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 野町駅の改札は、こんな感じ…

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 逆光で分かりにくいが、駅の全景…バスターミナルがあってすぐにバスに乗れる。片町・香林坊といった繁華街に出ることは可能。金沢駅の東口に直通するバスはなさそう(西口を経由するバスはある)兼六園にも行ける。
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 駅のはじっこから、今乗って来た電車を撮影。
 このあと、金沢市内に出て金沢駅近くのホテルにチェックイン後
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 金沢駅「もてなしドーム」の地下にもぐる…駅の模型がおいてあって、庭園も眺められるが…

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 ここに北陸鉄道、浅野川線の乗り場があるのだ。なお、ここも時間が来るまで改札の中には入れてもらえない。延々と改札の前で、乗客が並ぶことになっている。

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 浅野川線、内灘行き元京王3000系が到着…浅野川線は地元で「あさでん」と呼ばれている。

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 車内は、こんな感じ…
 下校時刻なので、小学生や高校生なんかが乗って来て、にぎやかだ。浅野川線のほうは、1時間に2~3本、わりとパターン化されたダイヤであります。
 20分ぐらいで、終点の内灘に到着~
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 で、ホントは内灘駅でいろいろ撮影ということになるのですが、この日は昔お世話になった方が、内灘の住宅地で反改憲のスタンディングをやってるということなので、わざわざ参加することに。
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 こんな感じで、毎週木曜日の16時から30~1時間程度、スタンディングを続けているとのこと。5年間やってるそうなので、立派なものです。
 ではでは…
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あるみさんとは

あるみさん

左翼、時々テツ!ちょっぴり萌え系…白系共産趣味ブログであったが、どうも本人のスピリットは赤か黒らしい。闘争・集会ネタが主。主戦場は沖縄・辺野古。
 もとネタは、鉄道むすめのメットキャラ「金沢あるみ」さん。フィギュアを手に入れ、メットを白く塗ったりして遊んでいた。「あるみさん」つながりで「すのこタン。」も要チェック!
 「侵略!イカ娘」からはまったのは「ガールズ&パンツァー」…梅田解放区の隠れ「ガルパンおじさん」でもあるが、今は「はたらく細胞」の「血小板ちゃん」にハマり(おいおい)人間が朝の6時に起きれるか!という謎のコンセプトで生きている。

メールは、nishihansenあっとyahoo.co.jpまで(あっとを@に変更して下さい)
ではでは(^^)

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