その4の続き、けっこう重要なところである。
第五章 一九五二年体制
 ところで、日本には人種差別を公然の目的にした差別政策や法律はない。国籍さえ取得すれば国民としての権利を十全に享受できる(タテマエとなっている)。では日本におけるレイシズム、在日韓国・朝鮮人に対する差別の根源は何か?それが一九五二年体制と呼ばれる入管法制である。
 一九五二年体制は、出入国管理令(入管法①)外国人登録法(外登法②)法律第一二六号(法一二六③)を柱とする入管法制である。なお、以下に日本の朝鮮人支配の変遷を示す(これは重要!)
図表12 レイシズムとは何か_0001
それをかいつまんで説明すると
・植民地支配時代の朝鮮人支配の枠組み
「日本国籍の壁」によって朝鮮人を囲い込み
「国籍の壁」から出られないようにカギをかけ
その上で戸籍と言う「レイシズムの壁」を法制度として貫く 
(ちなみに上記の図をみれば、植民地時代「朝鮮人も同じ日本人であった」などとうてい言えないことは一目瞭然である)
・GHQ占領期…日本の国籍によって閉じ込めると同時に戸籍によって差別化をはかる方法を踏襲
 一九四五年十一月一日「初期の基本指令」「台湾系中国人及び朝鮮人を、軍事安全の許す限り解放民族としてとりあつかう。彼らは本指令に使用されている「日本人」という語には含まれないが、彼らは、日本臣民であったのであって、必要の場合には、貴官は、敵国民として処遇してよい」これが、日本政府が在日コリアンをレイシズム対象として扱うことを許す条件になる。一九四五年十二月「戸籍法の適用を受けざる者」と言う表現で参政権「停止」し、一九四七年五月二日 外登令(外国人の入国を減速禁止、国内にいる外国人の登録義務)において「朝鮮戸籍令の適用を受けるべきもの」「適用については当分の間外国人とみなされる」これが朝鮮人弾圧法になったのだ!
 一九四八、四九年には朝鮮人学校強制閉鎖令が出されたが、これは在日朝鮮人が「日本国民」だから日本の学校に通うべき!というもので、外登法では外国人、学校教育では日本人とされている。「日本国籍と戸籍の使い分けは、むしろレイシズム政策を一貫させる道具だった」p180のである。
・四・二八サンフランシスコ講和条約発効…外地戸籍者を一律に日本国籍喪失させる暴挙!法務民事局長通達第四三八号
 これがなぜ問題かというと
①そもそもサンフランシスコ講和条約にはなんら在日朝鮮人の国籍について規定がない。
②サ条約を審議した講和会議には一人も朝鮮人が出席していない
③国籍選択権が一切認められていない
④憲法違反である(法律で国籍を定めるとする憲法第十条)
 こうしてみると、植民地時代、GHQ時代、五二年以後とは、一貫して朝鮮人を人種化して日本人と分けるレイシズム政策が貫徹しており、それが国籍と戸籍の二つの制度によって支えられてきた。また特徴として「公的な体系性をもった明示的プランではなく、むしろ国籍と戸籍を恣意的に使い分け、官憲の広範な裁量に依拠している」p182のである。
一九五二年体制と在日特権―法一二六という元祖「在日特権」…一般法としての入管法(入管法と外登法)と、その例外を規定する特別法
 入管法では、旅券もビザも無い外国人は日本に入国することができない。だが在日朝鮮人には当然ながら旅券もビザも無い…不法滞在の「外国人」が六十万も一夜にして増える。それを「解決」するための特別法が、法一二六なのだ。
 法一二六は、朝鮮人、台湾人という旧植民地出身者にのみ、特別に在留資格なしで在留してよいと定めたもので、ただし優遇措置ではなく。在留資格なしという極めて不安定な状況に追い込むレイシズム政策だ。すべての在日コリアンは含まれず、①一九四五年九月二日から五二年四月二八日まで引き続き日本に在住した朝鮮人②その朝鮮人が五二年四月二八日まで出生した子に限定。一度でも朝鮮半島と行き来した者、朝鮮戦争の難を逃れてやってきた者は含まれない。法一二六によって在留資格なしで滞在できた在日から生まれた子については、何の規定も無いのである。
 「特定在留」は三年に一度更新しなければならない不安定な法的地位、その子(孫)は在留期限の更新が一年もしくは三年の「特別在留」とされる。「在日朝鮮人の歴史と実情を踏まえその存在を公認して生活の権利を保障した政策ではまったくない。反対に無理やり国籍を失わせた在日を当面居てよいとする極めて場当たり的例外的な措置にほかならない。」P186のだ。
 五二年体制の一般法部分は、二〇〇九年の大改正によって外登法が廃止され、入管法に吸収1本化した。特別法部分は、六六年入管特別法(日韓法的地位協定時の協定永住)八二年改正入管法(難民条約締結時の特例永住)を経て、九一年入管特例法による、今日の特別永住資格となったのである。
 戦後日本社会での五二年体制が果たした役割はなんだろう?
第一 レイシズム法を入管法に偽装する体制の成立…レイシズムの壁が国籍の壁と癒着、政策・法律レベルのレイシズムが国籍「区別」に偽装され、見えにくくなる。
第二 反レイシズムゼロ下で外国人政策の代用物 
 ①反レイシズムがないので、在日コリアンは国からマイノリティとして公認されず、国籍以外にその政策上の「定義」さえ存在しない
 ②レイシズムに基づいた日本の戸籍=国籍制度に、米国の反共主義かつレイシズムに基づいた国籍別割り当てを規定した厳しい入管法部分だけが接ぎ木されたものである。
 ③反レイシズム規範が入管法と対決・衝突することなく、欧米でつくられるほかなかった移民政策(入管精伊作+統合政策)がつくられなかった。
第三 在日コリアンの権利を、外国人と平等に無権利状態におく入管法にとっての「特権」として正当化させた。
と、筆者はまとめている。
否定される在日コリアンの権利…教育でのレイシズム政策
 一九四八年の朝鮮学校閉鎖のロジックは「日本国民だから」である。それが「外国人」とされた一九五二年体制ひきつがれている。日本国籍を持たないことをフル活用して、朝鮮人と朝鮮学校をさらに排除し、「外国人」には学校への就学義務はなく就学はあくまで「恩恵」であり、外国人のための教育に税金を使うべきではないとのロジックで、一九五五年都立朝鮮人学校が廃校にされた。その後朝鮮総連が結成され、全国的に朝鮮学校再建に乗り出した。
 一九六〇年代に、新たな弾圧体制が構築された。六六年六月「わが国の安全保障に関する中間報告」で「間接侵略による危険は現状においてもすでに存在している」「とくにわが国に多数存在している北朝鮮系学校は、わが国に於いて反日教育、教育革命を実施し、このままでは将来わが国に重大な脅威となろう」…反共だけでなく在日コリアンという民族集団を一様に敵視するという発想はいうまでもなくレイシズムである。」P191こんな文言は、現在でも言われ続けているのではないだろうか。
 日韓条約前後の日本政府の政策は、在日コリアンの自主的な民族教育を一切認めず、むしろ「同化」させるというエスノサイド的なレイシズム政策である。ただ、外国人学校法案は、総連とそれに連帯する市民の反対運動によって四度上程されたが全てつぶされている。しかし、
第一 教育の義務と権利はあくまで日本国籍保持者のみに認められ、外国人が学校に通うのは「恩恵」であって、いつでも入学や就学が拒否できた。
第二 朝鮮人学校・外国人学校は日本の教育体系からは体系的に排除されている。これはレイシズムによる隔離政策である。
第三 反レイシズムの差別禁止法も政策も一切作られなかったため、政策上一九五二年体制と衝突する法・政策が存在しない。
 それでは、在日朝鮮人運動やそれと連帯する市民運動も強力だったのに、なぜこんなことがまかり通ったのか?
第一 南北分断で在日コリアンも分断され、本国のネイションの一員として本国の政治に関与することが社会運動の課題となったため、日本国内での「公民権」(シティズンシップ)を闘い取ることは問題にもならなかった。
第二 日本の市民運動や他の反差別運動も加害者の差別する自由を社会正義によって規制するのではなく被害者支援を通じて人権回復を訴えるというスタイルであったため、普遍的な差別禁止法を闘い取るという目標を掲げなかった。
と、筆者はまとめている。私が付け加えて言うならば、日本国内での「公民権」(シティズンシップ)を闘い取ることは問題にもならなかったのは、「公民権」を得ることが同化に繋がる、すなわち天皇制の問題とぶち当たったからではないのか?とも思うが、どうだろう。
 筆者は最後に「スリーゲートモデルさえ通用しない入管法1本で外国人政策を代用する一九五二年体制が生きている。五二年体制が外国人政策の代用物とされる限り、政策亡き差別政策は継続される。…在日コリアンにたいしてだけでなく、外国人研修生(技能実習生)はじめ一般的に移民や難民に対する日本のレイシズムをも強力に支えているのである。」p195とまとめている。
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]