その3の続きである。
第四章 反レイシズムという歯止め
 レイシズムを国際社会が放置したことがファシズム台頭を招いたという歴史的教訓から、反レイシズムは国連の目的でもある。国連憲章第一章第三項には、「人種、性、言語、宗教による差別なく、すべての者のために人権と基本的自由を尊重するよう助長奨励する点で、国際協力を達成すること」とあるし、人種差別撤廃条約は一九六二年に作成決議、一九六五年に作成・採択、二十七か国の批准で一九六九年に発行している。この時代はネオナチの反ユダヤ主義レイシズムが世界的に問題となっており、またアフリカ十七か国が独立・国連加盟そたことから、第三世界諸国からの反アパルトヘイト・反植民地主義の声を無視できず、人種差別撤廃条約成立に「絶対的優先」を与えたのである。人種差別撤廃条約は
 第一 レイシズムを社会がなくすべき悪である
 第二 締結国が立法を含めたあらゆる手段で撤廃することを義務付ける
 第三 特に危険なレイシズムの差別扇動と極右を法律で処罰すべき違法行為・犯罪と規定しているのである。
 条約でのレイシズムの定義は、①ルーツ(人種・皮膚の色・世系・民族・エスニシティ)に基づくグループに対する②不平等な(平等の立場における基本的人権の行使を妨げたり害したりする)③効果をもつもの(差別の目的や意図は関係ない)であり、①人種化されたグループへの②不平等な③効果を持つ行為や制度(法律や政策)が、人種差別撤廃条約が禁ずるレイシズムである。
 レイシズムに明確な定義を与え、各国に立法を義務付けることで、レイシズム行為が差別禁止ラインより上にエスカレートしないようにしたのだ。
 そして人種差別撤廃条約には、四つの反差別ブレーキがあるとしている。 
差別する自由を規制することこそ真の自由である(禁止するための差別の定義)
 差別を社会が定義すること、差別を区別と線引きすること…社会正義が定める差別の定義があってはじめて差別する自由を実戦で否定することが可能。反レイシズム規範の成立は市民社会での激烈な反差別闘争なしにはあり得ない。
 「人種」の否定 生物学的な人種の存在の否定…レイシズムという言葉自体、ナチの人種理論を否定する文脈で用いられたもの。反レイシズムがなければ、人種理論はいくらでも復活し差別に使われる。一方、差別しようとする側は生物学的な人種の代わりに文化や宗教などを持ち出す…これは「新しいレイシズム」である。
差別扇動と極右の違法化―人種差別撤廃条約の最大の特徴
 差別扇動の違法化、その抑止…差別扇動と極右への資金援助を含む支援の禁止、極右組織そのものの違法化義務付ける。例えばドイツでは、憲法擁護庁が常時ネオナチを監視し取り締まりを行っているし、アメリカもFBIや州警察がヘイトクライム対策やKKK等の白人至上主義による極右テロリズム取り締まっている。
国家の差別扇動への対抗
 「国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと」と明記しており、国や自治体の差別だけでなく、国会議員・地方議員・政党による差別扇動を規制すること、公人のヘイトスピーチを厳しく批判し取り締まることは、レイシズム暴力の組織化を阻止する上で非常に重要であるとしている。
 一方、国家による規制から逃れる極右の動向として、欧州では極右が反レイシズム規範を持つ市民社会に自分達を適合させることを迫られる「適合ジレンマ」があり、ナショナリズムやイスラム教批判、ヨーロッパのアイデンティティに訴える「右翼ポピュリズム」という高等戦術をとる。米国では反差別規範に「適合」するのとは真逆に、トランプ大統領のように「適合しない」ことをアピールする形での「右翼ポピュリズム」という高騰戦術をとっている。
 ところが日本には「適合ジレンマ」で悩ませるだけの社会的な反レイシズム圧力がなく、欧州では一発で政治生命を失うほど露骨なレイシズムを掲げても、社会的に強く批判を浴びることが無いのである。
 欧米諸国で闘いとられた反レイシズム規範を、筆者は
① 六〇年から七〇年代初にかけて基準となる反レイシズム規範が成立(反レイシズム「1.0」)
② その後アップデート(反レイシズム「2.0」)…社会運動の力なしには勝ち取れない。
と位置付けている。その内容は、
・欧州・国連型(当初から差別禁止法で差別と共に差別扇動を禁止)
・ドイツ型(戦犯訴追と歴史教育と合わせた「過去の克服」の一環として、刑法改正によるヘイトスピーチ規制)
・米国型(差別禁止法制定、行為と言論に二分し、行為は規制し言論は擁護する)
と分類している。
 それではドイツと「反レイシズム」なき日本との違いはどこから来ているのか?筆者は冷静体制の違いに目をつけた。ドイツの冷戦体制は、仇敵フランスや英国と和解し、EC(EU)という経済共同体を結ばざるを得なかったことが、反ナチ規範の形成を必要としたことに対し、日本の「東アジア冷戦構造」は、米国のアジア戦略に規定されるかたちで、昭和天皇戦争責任の曖昧化した。また強大な米国をハブにした二国間安保体制の「足し算」(日米安保、韓米、比米…)に依存していることから、この軍事・政治上の国際関係によって反ナチ規範に類する反レイシズム規範をつくるよう強いられなかったと分析した。ドイツは被害国「イスラエル」と友好関係を築かなければならなかったが、日本の被害国(中国・朝鮮・ベトナム)は無視できる東側陣営になり、西側陣営の国々(韓国・台湾・フィリピン)は、米国の圧力で戦後補償要求を押さえつけることができた。また冷戦で分断された国が欧州では加害国ドイツ(反ナチ規範を競わせる)なのに対し、東アジアでは被害国朝鮮(日本への従属を競わせる)であったことも大きい。
 米国型の反レイシズムはどこから生まれたのか?六〇年代の反戦運動が、マイノリティ活動家も国家による弾圧を避けるために、人種隔離の廃止と行為の差別禁止を求めた。反レイシズムの言論を反共主義のレイシズム国家から守るため、差別禁止法性に行為/言論の特殊な二分法が採用されているのである。一九八〇年代に「行為」とされる人種差別を厳罰化させる文脈で「ヘイトクライム」という概念が生まれている。また「言論(スピーチ)」とされた差別に対し、それは「行為」と同様で処罰すべきだと批判する文脈で「ヘイトスピーチ」という概念も生まれた。「ヘイトスピーチ」(言論)は連邦法で禁止には至ってないが、ジェノサイド扇動は規制され、職場での差別発言はセクシャル/レイシャル・ハラスメントなどで規制されている。
 ところで日本での「ヘイトスピーチ」規制は「規制VS言論の自由」という構図で未だに議論されている。ところが欧州・米国では、差別を禁止することが大前提であり「差別禁止をどの程度行うか」の議論が行われているのである。
 筆者は「日本型反差別の深刻な帰結」として、以下の点を挙げる。
第一 極右や差別する加害者に対しては、反差別が抑止力とならないばかりか、かえって被害者を加害者の目前に差し出すことになる。…反差別の側は、事実や人権だけでなく、社会正義も対置しなければならない。
第二 「被害者の声を聴け」という日本型反差別が、むしろ被害者を沈黙に追い込んでしまう。マジョリティが差別の判断基準をマイノリティに押し付ける一方で、その解釈権は利き手であるマジョリティが握る。そうなると、マイノリティはマジョリティに受け入れられる程度の被害しか語れなくなる。
第三 社会に正義を打ち立てないために、反差別の社会的連帯の基準もつくらない。マジョリティ/マイノリティが立場を尊重したうえで差別に対抗して共闘するための基礎的インフラとなる反差別ブレーキが必要。
 欧州・米国での「反レイシズム2.0」では、構造的不平等をなくすため、形式的平等だけでなく実質的平等を達成するための、マイノリティのみに認められた特別な権利保障が必要だという水準に進んでいる。これが「アファーマティブアクション」「ポジティブアクション」と呼ばれるものである。それに対し日本は、人種差別撤廃条約の批准さえ一九九五年と、一四六番目の遅い批准であり、包括的差別禁止法もつくらず、差別統計もとっていない。これは条約違反でもある。
 正規滞在外国人の権利保障に関する国際比較調査における、移民統合政策指数(MIPEX)は、二〇一五年最新調査で、総合指数四四と三八カ国中二七位と低い。特に差別禁止の項目は二二点の三七位と下から二番目であり、戦後から今日まで、未だ公的な移民政策(入管政策+統合政策)も存在していないのが現状だ。
国籍・市民権による区別をどうするか
 反レイシズムの力は国籍「区別」のかなりの部分を否定することにも成功している。国籍(市民権)がない人びとへの差別が、国籍「区別」の下に実施される場合はレイシズムとされる。欧米では既に大半が国籍法で生地主義(領土内で生まれたら国籍を与える)を導入しているため、移民二世以降は国籍「区別」の対象にはなっていない。
第一 反レイシズム規範は必ず国籍や入管という国民国家の境界という壁にぶち当たる。
第二 反レイシズムは入管法と対立・対決・衝突し、入管法の内容や実際の運用でレイシズムを抑制することが可能である。
第三 反レイシズムは一旦入国した難民・移民・その家族に対してシティズンシップを認めさせる闘争を行うことで、公式/非公式の多様な移民の統合政策を国家につくらせることを可能にした
第四 その結果つくられた統合政策は国境での入管政策(誰を国外から入れるか)との何らかの政策的整合性を撮ることを国家と官僚に迫ることができる。
としている。
スリーゲートモデルとシティズンシップ 
 スリーゲートモデルとは、トーマス・ハンマーによって考案された図であり国民国家を、権利を制限する三重の同心円にみたて、①国境②居住(永住)③国籍 の三つのゲートが存在する。

図表10 レイシズムとは何か_0001
 
 ところがこもモデルは日本では通用しない!例えば在日韓国人が永住資格を取得するのに必要な居住期間より(原則十年)、帰化(五年)のほうが短い。特別永住や永住という在留資格はあるが、欧米のデニズンのようにシティズンシップが認められたものでは全くない。選挙権は国政どころか地方参政権もない。差別禁止法が無いため差別からも無保護である。日本語教育さえ制度的に補償されていない。多文化政策どころか多言語政策でさえ国レベルでは存在しないのである。
図表11 レイシズムとは何か_0001

反レイシズムゼロの日本では、
第一 反差別ブレーキがないのでレイシズムはほぼ妨害を受けない。 
第二 移民政策も反差別法もないので、ナショナリズムの中に移民を取り込もうという主張も盤石である。
第三 日本でもレイシズムはナショナリズムを隠れ蓑にしているが、反レイシズムをかいくぐる高等戦術でさえない。植民地時代のレイシズムを戦後は旧植民地出身者の日本国籍を喪失させ「外国人化」したうえで「単一民族神話」型のナショナリズムを隠れ蓑にすることで継続させてきた。(ナショナリズムとレイシズムの接合が、戦後日本では独特の癒着をしている)

このあたりの展開は、次の第五章に続くよ!
レイシズムとは何か (ちくま新書 1528) [ 梁 英聖 ]
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